「血だけの契りじゃない。
これは、我々の『命のやり取り』だ」
人々により邪神に仕立て上げられた獣と、彼のためだけに生きるようになった生贄の少年。
二人には名前がなかった。
いや、正確には存在したがとうに捨てたものだった。
「黒の獣」も「黒魔女」も俗称であり、本来の名前ではない。
「お前、名前は?別にガキでもチビでもいいが」
「ぼくの名前ですか…呼ばれたことがないので分かりません。教会にいた頃はあだ名で呼ばれていました。」
「へえ」
「神様は…名前はあるんでしょうか?」
「あったが誰も呼ばなくなったから忘れた」
「そうですか」
「お前、俺の唯一の信者だから名前でもつけてやろうか」
「え…?お気持ちは嬉しいですが、たいへん畏れ多いです」
「いや、考える。さて…どんな名前にしてやろうかな」
ニヤニヤと笑いながら彼は楽しげにしている。
少年は内心わずかに不安に思いながら、彼から与えられる名前がどのようなものか胸を高鳴らせていた。
そういった会話をしてから数日が経った。
獣は突然、少年を背に乗せて行く宛ても教えずに走った。
足を運んだ先は、紺碧が広がる海。
少なくとも少年は見たこともない、透き通った大きな水たまりとさらさらとした砂。
「俺が東の国に住んでいた時、人間達がこれを『海』と呼んでいたことを思い出した。
お前の目の色に似てるから、今日からお前のことは『ウミ』と呼ぶ」
「ウミ…?『Sea』のことですか?」
「多分そうだ。気に入らなかったら今まで通り適当に呼ぶ」
「あ、いえ…。ぼくには、勿体ないほどの綺麗な名前です。
実はぼくも、あなたの名前を考えていたんです。聞いてくれますか?」
「ふうん」
「ぼくの、唯一の神様。心を込めて、あなたと呼びたい人。
つまり、『You』…ユウです。お気に召さなかったら、ごめんなさい…」
「ユウ?覚えやすい名前だな、別にそれでいいんじゃないか」
「よ、よかった…」
「じゃあウミ。『海』で水浴びでもするか」
「水浴び…水が冷たそうですが、ユウが温めてくれるのであれば…」
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彼らは生きるために、邪魔する者に対しては何の躊躇いもなく、虐殺も蹂躙もした。
住処に侵攻してきた者達が何人、何百人現れようと食い殺せばいいのだ。
元は利害関係のみであったが、数多の命を食らい、二人で過ごすことでずっと求めていた自由と安寧を手に入れたのだ。
契りを交わした二人は、やがてお互いを愛するようになった。
ウミがある日魔女狩りの犠牲となり、一度火刑により死亡したが、ユウへの執着と邪神の加護により魔女として生まれ変わった。
名前の由来である青い瞳も赤く染まったが、変わらず二人は共に過ごす。
二人は一心同体だ。
この信仰も、執着も、愛も、他者にとっては不可侵なのである。
二人の命が尽きるその日まで。